2006年05月12日

食道癌闘病記録

2006年5月12日(金) これからのこと

個人差や仕事の内容にもよるが、手術後順調なら3ヶ月くらいで社会復帰できると病院か何かの資料に書いてあった。 仕事は徐々にやるとしても、四万十川に帰る為には、もう少し体力をつけて、右腕をリハビリする必要がある。 
ここ東京から四万十川YHまでの、長時間に渡る列車や飛行機やバスなどの移動も、今の私にはまだ辛い。 
・・・・・ていうか、本当のところ、すっかり痩せて猫背になってしまったみっともない私の容姿を、あまり人目にさらしたくないというのが実は本音なのだ。 もう少し背筋を伸ばせないだろうか・・・ 盛り上がった傷口をかばう様に丸くなった背中を無理矢理伸ばそうとして、痛みで顔をしかめる。
大幸先生に聞いてみたところ、あとは自分の問題だと言われてしまった。 それもそうだ。
私も一人前に贅沢な悩みを言える様になったものだ。 



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2006年05月11日

食道癌闘病記録

2006年5月11日(木) 手術後2ヶ月検診

今日は9時半〜診察の予約で、それまでにレントゲンと採血を済ませなければならなかったので、朝6時に父の運転する車で出発した。 がんセンターは相変わらずガン患者でいっぱいだ。 連休明けで大幸先生の予約も混んでいた。

レントゲン検査では肋骨はやはりまだ骨折していた。 血液検査は全く異常なし。 腫瘍マーカーも基準値以下で、今の所再発の心配は無い。 肝機能も腎機能も良好。 貧血もなく、栄養状態も良好だった。 体重も1ヶ月に1kg減少程度なら問題ないようだ。 まずは一安心。 診察後、栄養指導の先生からも指導を受けた。 どんなものを食べているかは血液検査で全て判るそうだ。 私の血液からは、気をつけて身体に良いものばかりを食べているのがよく覗えますとほめられた。  これはやはり玄米菜食主体の食事+タカシが送ってくれた栄養補給の流動食の効果がしっかり出ている証拠だ。 タカシ、ありがとう。
次の検診は40日後の6月22日(木)になった。 
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2006年05月10日

食道癌闘病記録

2006年5月10日(水) 明日は手術後2ヶ月の検診日

明日は国立がんセンター東へ行く日。 血液検査とレントゲン検査と診察がある。
血液検査で調べる腫瘍マーカーは、進行した悪性腫瘍の治療効果を判定するものだ。  手術による悪性腫瘍の切除後は、多くの場合腫瘍マーカー値は、低下もしくは改善する。しかし、悪性腫瘍の再発に伴い、腫瘍マーカー値は再度上昇してくるので、術後の経過観察目的で使われる。 また、進行した悪性腫瘍に対して化学療法や放射線療法が行われている場合、その治療がどれくらい効果があるかを判断する。 
腫瘍マーカーには沢山の種類があるが、私の場合は食道癌だったから、たぶんCEAやIAP、SCC、シフラ21-1他等の値が高くなるほど再発の可能性が高いと思われる。

レントゲンで肋骨の骨折がどうなっているかも気になる。 4/28の帯津三敬病院受診の時は、 レントゲン写真にはっきりと右の肋骨が2本ずれていたのが写っていた。 右の背中と脇腹は相変わらず痛いし皮膚の感覚がない。 右腕も大きく動かすと痛く、深呼吸も出来ない。 通常の肋骨骨折なら3〜4週間で治るが、手術で肋骨を切った場合の骨折はどれくらいで骨がくっつくのだろう・・・。

体重は現在42kg。先月の検診時は43kgだったので、1ヶ月で1kg減少したことになる。手術後半年位は体重が減り続ける場合が多いそうだ。
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2006年05月07日

食道癌闘病記録

2006年5月7日(日) 食事のリハビリに大奮闘

食事のリハビリでまた新たな発見があった。  私の場合、空腹という感覚がないだけでなく、そういえば満腹感もない。・・・というのも、胃がいっぱいになって許容範囲を超えてしまうと、かつて食道だった胃の延長部分から喉にまで食べたものが上がってきて、要は食べた物が逆流してしまう。 それをもう一度飲み込んでも、また上がってきて動悸がして苦しいので、結局吐き出すことになる。 その時に異物反射で咳が出ると、今度は逆流してきた食べ物が気管に入って更に事態が悪化し、激しく咳き込んで呼吸困難になってしまう。 昨日はそれで死ぬほど苦しんだ。 食事に慣れてきて、ちょっと油断してしまったのだ。1回の食事に食べられる量をしっかり把握して、極力ゆっくり食べることと、食べる時には食べる事に集中する必要がある。 

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2006年05月02日

食道癌闘病記録

2006年5月2日(火) 食事のリハビリはなかなか・・・・

昨日とはガラッと変わって東京の気温は14℃で曇りのち雨。15℃以上も格差がある。
食事のリハビリは失敗の繰り返しだ。 食べ物でも飲み物でも何か飲み込むと必ず泡が上がってくる。 これは唾液の細かい気泡で、軽いからどうしても胃の下へは落ちていかないのだ。 食事以外でも時々泡が上がってくるので、外出する際はテイッシュとビニール袋を持ち歩いている。 人前で、泡を吐き出しながら食事をするのは、家族以外ではちょっと出来ない。 

食べ物はよく噛んで、口の中でどろどろの液状にしてから少しずつ飲み込まないと、必ず喉か胸でつかえる。 食物繊維や固形物等、間違えて何かの拍子に飲み込んで、一旦つかえてしまうともう最悪。  つかえた所に血液が集まるのか、そこに激しい脈を感じて動悸がする。 居ても立ってもいられなくなって、何とかつかえた物を胃に送り込むか、吐き出すかしなければならない。
胃に送り込もうとして水を飲んでも水が逆流して出てしまう。 逆流した水と一緒につかえた物が出てくれれば楽になるが、なかなかそうはうまくいかない。 水を何回も飲んでは吐き出し、繰り返して七転八倒する。 

カロリーの高い食べ物を少量ずつ食べればいいが・・・バナナは一番良い。でも例えばお菓子の様な砂糖などの糖分は食べている時は良いけれど、必ず後で下痢してしまう。 脂肪も同様、半端じゃない下痢で苦しむ事になる。 自分の趣向も脂っこいものや甘いものは、食べたいと思えない。 

胃が食道の代わりをしているわけだし、胃の食道は普通の食道より細いわけだし、喉のすぐ下にすでに胃液が常に満タンになっているわけだから仕方がない。 要は慣れることだ。そして上手く自分のサイクルを獲得することだ。 嚥下障害や下痢は苦しいが、何度失敗しても失敗を恐れずに頑張ろう。

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2006年05月01日

食道癌闘病記録

2006年5月1日(月) 今日からもう5月・・・・

退院して今日で丁度1ヶ月になる。  東京の気温は28〜30℃で夏の陽気。 みんな半袖で歩いている。 四万十川YHではザッキーが石さん達を連れてカヌーツーリングに出ているようだ。 頼もしい弟に成長してくれたものだ。 お陰様で、私も日1日と良くなっている。

手術の傷の痛みは大分楽になって、痛み止めの薬はもう使わなくなった。 体を動かすとまだ結構痛むが、洗濯物をたたむ等の軽い作業は出来る。
帯津病院で胸部と腹部のレントゲンを撮った時、手術の時に骨を切った所の右の肋骨が2本見事に骨折して骨がずれていたが、帯津先生はあっさりそのうちくっつきますと言っていた。
痛みは以前、疲労骨折で整形外科にかかった時と同様だ。 痛みで右腕が胸の高さより上に上がらないのと、深呼吸が出来ない、平らな所に仰向けで寝られない。その程度だから大した事ではない。

問題は食事の方だ。帯津病院に行った時、7時半に朝食を摂って10時頃出発したきり、待ち時間が長すぎて昼食を摂る間がなく、帯津病院には食事を摂れる様な場所も売店もなかったので、帰るまでの18時過ぎまで延々と10時間以上何も食べなかった事になる。 自分はお腹が空く感覚が無いので平気だったが、それがくせものなのだ。 家に着く直前に低血糖症状が出てしまった。 突然、脱力感と冷や汗が出て膝がガクガクし、手も震えてうずくまってしまうのだ。
のど飴を口に入れて何とか治まったが、大失敗だった。 病院での待ち時間は緊張していたから食事をしなければならない事を忘れ、自分がかなり消耗している事にも気づけなかった。  お陰で次の日もまる1日具合が悪かった。 痛みや辛さに鈍感というのも善し悪しだ。 気をつけなければならない。

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2006年04月30日

食道癌闘病記録

2006年4月30日(日) 帯津三敬病院

一昨日の4/28に代替医療を取り入れている帯津三敬病院へ行った。  2ヶ月前の2月下旬にインターネットで調べて探しあて、予約をとったら2ヶ月後の4/28しか空いてないと言われて先々どうなるか判らないが、とりあえず予約をいれておいたのだった。 
帯津三敬病院の帯津良一先生は、本も出していて、代替医療その他で有名な先生だ。  私の場合リンパ節転移はなかったものの、病巣が大きかったから予断は許されないので、受診してみようと思った。 国立がんセンターの退院サマリー(情報提供書)と保険証を持って妹に付き添ってもらい、延々と2時間半かけて埼玉県の南古谷へ・・・・。 帯津先生はザックバランで感じの良い先生だったが、病院との相性はあまり良いとは感じられなかった。 
私自身その日は下痢して体調も悪く、病院での待ち時間も半端ではなかった為すっかり憔悴してしまい、もう2度と行く気にはなれなくなってしまった。
帯津良一先生は、高知県四万十市(旧中村市)の中医学研究所や癒しの里にも過去2度ほど講演に来ていて、今年も9月にそこで予定があると聞いたので、その時に足を運んでみよう。

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2006年04月26日

食道癌闘病記録

2006年4月26日(水) 最近の私は・・・・

この一週間で、大分傷の痛みが和らいできた。 以前は痛みで夜中に必ず目が覚めたが、最近は朝までぐっすり眠れる様になった。 朝、目が覚めて起き上がる時が一番痛くて、起き上がる迄にかなり時間がかかったが、今では痛みはあるが普通に起きられる。 何もしなくても四六時中痛みに耐えている状態だったのが、今は何もしなければ痛くない。 痛み止めの坐薬も、この2〜3日はほとんど使わなくて済んでいる。 ただ、どうしても背筋を伸ばすことが出来ない。  自分では伸ばしているつもりでも、鏡をみるとかなり猫背だ。 右腕も胸の高さまでしか上がらない。 無理に上げたり伸ばしたりすれば肋骨と背中が激しく痛む。 それにしても痛みが軽減した分生活が随分楽になってきた。

歩行運動は少しずつ距離を増やしている。 500〜600m位の距離を1時間もかけて息切れしながら歩いていた最初の頃とは違って、今では1kmを30〜40分で歩ける様になった。 普通の人のペースに比べればまだまだではあるが、自分の中では大きな進歩だ。

食事も雑穀玄米のお粥から柔らかく炊いた雑穀玄米をよく噛んで食べている。 相変わらず時間がかかるが、1回に食べられる量は少し増えたかもしれない。

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2006年04月25日

食道癌闘病記録

2006年4月25日(火) 国立がんセンター東病院について(その5)

入院中の夜は長い。 患者の多くは夜ぐっすり眠れる様に睡眠薬が頓服薬として処方される。
普段は寝付きの良い私でも、手術後の痛みで眠れなかった時はさすがに眠剤のお世話になった。
ところが、痛みのピーク時には眠剤も効果がない。 レンドルミン、マイスリー、アモバン、どの眠剤もあまり効かなかった。 眠れてもせいぜい3〜4時間で目が覚めて、痛みと格闘しながら長い夜を過ごさなければならない。 

病棟内の夜中は決して静かではない。 イビキの合唱は当たり前、レスピレーターか酸素マスクのシューシュー音、時々けたたましく鳴る点滴の警告音、痰取りの吸引音、患者の呻き声・・・・
不安と苦しさの為か、夜中に何度もナースコールを押す患者がいる。  ただ淋しい苦しいと訴える患者に為す術もなく、出来るだけ声をかけて応えている看護師の声・・・
「うん、うん、苦しいの? 淋しいの? ずっと側にいたいんだけどね、他の患者さんも診ないといけないから、ちょっとだけ行ってきてもいい? いい?」  患者が良いと言うまでは側についている。 ようやく他の仕事に着けても、しばらくすると、またナースコールを鳴らし看護師を呼んでは寂しい苦しいと訴える。 コールが鳴れば何度でも患者の元へと向かい、誠実に訴えに応えている看護師の姿勢に感動する。 普通ならそういう患者は放っておかれても仕方ない所なのに、すごいと思った。  その看護師は、結局夜が明けて申し送りが済んでも、残ってしまった仕事をかたづけていた様だった。 

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2006年04月24日

食道癌闘病記録

2006年4月24日(月) 国立がんセンター東病院について(その4)

苦痛を伴う処置

食道癌の私には担当の医師が4人も付いた。 肺ガンの患者は担当の医師は2人の様だった。医師は毎日代わる代わる何度も様子を診にきてくれる。必要な検査や処置、投薬、治療については必ず前もって説明してくれて、痛みや苦痛を伴う様な検査、処置、投薬、治療の場合も事前に話してくれる。
「気管支ファイバーは結構苦しいものですが、これで痰を取っておかないと肺炎になってしまいますから、頑張りましょう。」

食道癌の手術後2〜3日は痰が沢山出て、痰を出さないと肺炎という重篤な合併症を引き起こす原因となる為、気管支ファイバーという、内視鏡的な管を挿入して痰を取る処置をしなければならない。 これを経験した患者は口を揃えて二度と嫌だと言う位苦しい処置だ。  気管に管が入ると、異物反射で咳や嘔吐となり、ゲェゲェ、ゲホゲホ・・・・それに伴って傷も痛み、涙をポロポロ流して苦しみに耐えなければならない。 この処置は朝夕2回ずつ2〜3日、喫煙者等痰が多く出る人は計6回位行われる。 私の場合はタバコを吸わないので3回で済んだし、苦しみを軽くする為のコツをつかんだ。 コツは簡単。受け入れる姿勢で臨むことだ。 始めに喉、又は鼻の奥にキシロカインスプレー(局所麻酔)を噴霧される。 この時点で深呼吸しながらリラックスするよう努める。 いざ管が挿入される時も、大きく息を吸う様に思い切り喉を開く様にすると異物反射が起きにくいので苦しくない。 何度でも来い! という気持ちが大切。

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2006年04月23日

食道癌闘病記録

2006年4月23日(日) 国立がんセンター東病院について(その3)

私が入院した6階B病棟は、肺ガンが圧倒的に多く、次いで食道癌だった。 個室、二人部屋四人部屋とあり、個室は差額ベット代がかかるが、二人部屋と四人部屋はベット代は無料。但し二人部屋は手術前後や重篤な患者優先のようだ。  ベットの位置も窓側と通路側は処置がしやすいとか病院側の都合が優先で患者が選ぶことは出来ない。 患者の状態がすぐに判る様にする為なのか、病室のドアは個室も全てオープンとなっている。 ベット毎にカーテンで仕切られてはいるが、声や音は筒抜けだ。 ほとんどの患者はカーテンを閉めてプライベートを守っていたが、私は狭いのと暗いのが嫌で、通路側だったにも関わらずいつもカーテンを開けっ放しにしていた。 エレベーター前のフロアーには、両側の窓際に応接セットが2つずつあり、面会や患者同士の交流に使われている。 ここに入院しているのはみんな同じ癌患者だから、安心して病気について気さくに話し合えるのが良い。
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2006年04月22日

食道癌闘病記録

2006年4月22日(土) 国立がんセンター東病院について(その2)

初診から外来まで

初診の日は事前に予約をとってなかった為朝7時過ぎから待っていた。 空港の様な広々としたロビーも8時前後になると再来の癌患者で一杯になり、受付開始の8時30分が近づくと、診察券の自動受付機の前に長い列ができる。あまりの癌患者の多さに圧倒された。 予約無しの初診は私だけだったが、受付の人はにこやかで親切だった。 すぐに対応してくれてDrの許可をとり、初診の受付を済ませると丁寧に案内してくれた。

外来の受付は内科と外科が一緒になっていて診察室が7つある。受付には常に看護師が2人いて受付の処理や検査室への案内など、ハキハキと手際よく笑顔で親切な応対だ。

診察室への患者の呼び入れはインターホンで医師が直接行う。  診察室では医師対患者と家族のみで、看護師は付かない。  カルテは電子カルテとなっていて、全部パソコンで管理されているから、診察室のデスクにはノートパソコンが1台あるだけ。 検査の予約や処方、次回の再診の予約まで医師がその場で行い、検査結果もパソコン上で患者の電子カルテに直接送られてくる。 診察券にID番号が登録されていて全て診察券のカードで受け付けするから管理や時間に無駄が無く、迅速でミスや行き違いのない様になっている。 

医師は検査結果を基に癌の進行度や治療方法、過去のデーターによる治療効果の予測、予後など率直に患者に伝える。  例えば・・・
「食道の鎖骨下頸胸境界部にかけて16cm位の悪性腫瘍が見られます。血管造影とCTで見る限りでは進行度はステージUかV・・・・リンパ節が腫れているのでVでしょう。 治療方法は手術+抗ガン剤か、放射線+抗ガン剤・・・・手術の場合 5年生存率は50%、放射線の場合は40〜50%で わずかに手術の方が確率が上になります。  胸部の食道癌は放射線治療が有効なケースが多いですが、頸部となると、治った例が過去ありません。 どうしますか?」
・・・・といった具合だ。
国立がんセンターと大きく看板が出ているだけに、治療は患者への告知が大前提。 あまりにも率直すぎて冷酷だと感じる患者もいるだろう。 でも真剣に病と向き合う為には、真実をしっかり受け止めなければならない。 外来で多数の新患が後を絶たない現状で、次から次へとこなしていく為には淡々と真実を伝えて患者が納得した上で支えていくしかないだろう。



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2006年04月21日

食道癌闘病日記

2006年4月21日(金) 国立がんセンター東病院について(その1)

医師と患者が一体とならなくては良い医療は行えない

「西洋医学が発達し、優れた技術や高度先進医療が医療のすべてと思われがちだが、それは技術と知識の受け渡しにしかすぎない。 医療というものは場の営みで全体のエネルギーを上げていくものだから、医師と患者は対等の立場に立ち、一体とならなければ良い医療は行えない。」
・・・『帯津流がんと向き合う養生法』で帯津良一先生は、こう語っている。

医療というのは場の営み。 患者はその場の真ん中にいる。家族や友人は病気になる以前からのつきあいだが、病気になってからは医師や看護師、検査技師、薬剤師等といった人達が加わって1つの場をつくる。 そしてその人達がそれぞれ自分の生命の場のエネルギーを高めながら相手に絡んでいって、相手の場も引き上げる。 お互いにそうする事で、全体の場のエネルギーが高まってくるという。


国立がんセンター東病院は・・・・

国立がんセンター東病院には、高度先進医療と優れた技術がある。そして何より場のエネルギーレベルがかなり高いと感じられた。 医療チームのスタッフは医師を始め看護師、検査技師、受付窓口、看護助手、掃除の人に至るまで、一貫して患者優先の態勢で接してくれた。

院内の受付、外来、病棟の各所にはボランテイアの人がいて、院内の案内や細やかな手助けをしてくれる。 
掃除の人はいつも謙虚で患者の前ではホコリをたてない様な心配りをしてくれる。

看護師も看護助手も、常に患者の訴えを優先に動いてくれて、患者の訴えに嫌な顔は決して見せない。どんな小さな事やわがままと思える訴えにも、誠実に応えてくれて、患者のストレスを最小限にする様努めてくれる。 また患者からの情報は担当スタッフの間でしっかり申し送りがなされていて、患者の状態を理解する様努めている。 

医師は患者と向き合う時、必ず患者の目を見て真実をしっかり伝え、解る様に説明をした上で治療方法の最終的な決断は患者に委ねる。 そして一緒に全力を尽くしてくれる。

大当たりだった。 良い病院を選んだと思う。 明日はもう少し具体的に紹介したい。


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2006年04月17日

食道癌闘病日記

2006年4月17日(月)  リハビリ奮闘記

検診の日に大幸先生から渇を入れられて、すっかり奮起した。 この4日間で痛みと格闘しながらもマンションの1階〜3階までの階段の上り下りや、浅川沿いの散歩を欠かさず行い、食事もお粥から、柔らかく炊いた雑穀玄米をよく噛んで時間をかけてなら食べられる様にまでなった。 まだまだお腹が空いた感覚にはならないし、時々タイミングを損ねて喉や胸で食べ物を詰まらせ七転八倒したりはするが、運動して色々な食べ物が美味しく感じる様になったのは大きな進歩だと思う。

1106.jpg 4月16日ゴリさん高見家に乱入〜!
まあチャン、トッ君、サッチャン、ゴリサン
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2006年04月13日

食道癌闘病日記

2006年4月13日(木) 手術後1ヶ月の検診日

今日は手術後ちょうど1ヶ月の検診日だった。 予約時間は11時だったが、高速道路の混雑を避けるために朝6時に出発し、国立がんセンター東には8時前に着いた。 待ち時間がかなりあったので、懐かしい6B病棟へ行ってみた。 私の担当医の一人、三重野先生と、担当の看護師なずなさんや他の看護師さん達と再会出来た。 また、外来では一緒に入院していた昌子さんや斉藤さんにも会えて色々話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎてしまった。

11時ちょっと前に大幸先生に呼ばれて診察室へ入った。
Dr大幸「どうですか?」 (大幸先生は笑顔で迎えてくれた。)
サッチャン 「まだ傷は痛いし、食べられないし、全然ダメです・・・」(私も笑顔で答えた)

食べ物が喉のあたりで引っかかるのは仕方がないそうだ。 吻合部が内側で盛り上がっているのは治らないから慣れるしかないという。 傷はある程度痛くても痛み止めを使ってどんどん運動した方が良い。息切れがするのは運動しないからだと言われてしまった。

肝心のリンパ節転移については、奇跡的に転移が認められなかった !! こういうケースは希だと言われた。 抗ガン剤の治療はしないで1ヶ月後の5月11日に検診日が決まった。 次回は採血と胸部レントゲン検査があり、腫瘍マーカーなどを調べることになっている。
それにしてもホッとし過ぎて舞い上がってしまった。 あんなに大きい癌の病巣だったのにリンパ節への転移がないのは考えられない。 大幸先生も思わず病理に電話して聞き直したという。
どうやら私はかなり強運の持ち主らしい。やはり普通ではなかった! これからは心おきなくリハビリに専念出来そうだ。 
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2006年04月12日

食道癌闘病中

2006年4月12日(水) 明日は手術後1ヶ月の検診日

明日は退院後約2週間、手術(3/13)してから1ヶ月後の検診の日だ。  手術では、癌の病巣の食道は全部切り取って喉のリンパ節も片方取ったそうだ。  切り取った部分の摘出標本は病理組織検査でリンパ節への転移の有無や癌の深達度を検査し、1ヶ月後の明日、最終結果が判る。  検査の結果、リンパ節への転移があれば、再発の可能性が高くなる為、今度はまた入院して抗ガン剤の治療を受けなければならない。  まだ手術の痛みもあるのに、続いて抗ガン剤の治療というのはかなり辛いものになるだろう。  私の場合の食道癌は頸部〜胸部にかけて20〜30cmの連続性病変とあり、進行度はステージV。  かなり大きい癌の塊だったから、リンパ節への転移は免れないのではないか?  ・・・・手術する前にも大幸先生から、「手術後、リンパ節への転移が4つ以上ある場合は抗ガン剤の治療を強く勧めます」と言われていた。 

抗ガン剤治療か? 代替医療、ホメオパシー療法か?

抗ガン剤の治療を受けるか受けないかは、患者である私の選択次第でもあるから、思い切って抗ガン剤の治療を断って代替医療、ホメオパシー療法に賭けてみることも出来る。  手術で体力、抵抗力が低下している今、抗ガン剤の治療は受けたくない。  代替医療を取り入れている病院は調べてある。  帯津三敬病院のDr帯津良一先生は、元食道癌専門の外科医だった方だ。  今は食養生や漢方、気功、呼吸法、温熱療法、音楽療法等々様々な代替医療を専門にされている。「帯津流がんと向き合う養生法」という本も出していて、その本を読んでみると私がやっている玄米菜食や丹田呼吸法も取り入れている。 気功の会も行っている。 とりあえず、明日の検診で検査の結果を聴いてからもう一度真剣に考えることにしよう。


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2006年04月11日

食道癌闘病中

2006年4月11日(火) 入院中の思い出アルバム その2

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3月13日手術の当日、トッ君が来てくれて・・・・「トッ君、さっちゃんは
手術でもしかしたら喉に穴が空いて声を出せなくなってしまうかも知れないんだ。さっちゃんはそれが怖いの。手術の間、声が出せる様にお祈りしていてね。」・・・・「うん、わかった!」

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最後にトッ君の力を沢山もらって、指定の浴衣に着替え・・・「もう大丈夫!頑張ります!」

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トッ君、執刀医の大幸先生に・・・・「さっちゃんの声が出せる様にお願いします!」・・・・「はい、わかりました!」

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さっちゃん、手術室へ・・・・そして7時間後、手術が終わって・・・・喉は無事残りました! バンザーイ! 先生、お祈りしてくれた皆さん、ありがとう!

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3月15日(水)手術後2日目、歩いてナースステーション前のネブライザーへ・・・

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3月18日(土)術後5日目、まっちゃんが大阪から応援に来てくれた! 3月19日(日)敏夫さん、四万十へ帰る日。香りの良い寒咲き水仙の花をプレゼントしてくれた。

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3月21日(火)術後8日目手術してから初めての食事が出た。
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2006年04月08日

野村のおんちゃん曰く・・・

2006年4月8日(土) 野村のおんちゃん曰く・・・

午前中、名古屋の石さんが見舞いに来てくれた。 石さんは四万十川YH開所以前からの常連さんだ。 懐かしい話や色々な話が出来て楽しかった。

傷の痛みは相変わらず良くならない。 首と腹と右の背中から胸にかけての大きな創部周囲の皮膚の表面は触っても感覚がなく、自分の肌じゃないみたいだ。 背中から胸にかけてが特に痛いのは肋骨を折っているわけだから無理もない。 首と腹と右の背中と胸はひきつれた様な感覚と鉄の鎧を被せられてじりじりと熱を加えられ火傷しながら締め付けられる様な痛さと息苦しさだ。 この痛みは薬で多少は抑えられるが、本当に多少だ。 痛みは寝ても覚めても四六時中続いている。
そういえば、野村のおんちゃんが以前話してくれた。 「人間は究極の痛みに耐えられれば怖い物は無い。」 確かに手術する前は怖かった。 でも手術が終わって痛みに耐えている今は、もう何も怖いものは無い。
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2006年04月05日

回復への試みと経過観察・・・

2006年4月5日(水) 回復への試みと経過観察・・・

睡眠薬を止めてから2日。 昨日も一昨日も夜中に痛みで何度も目が覚めた。 夜が長く長く感じるが、体位を変えてみたり、夜中に水分を補給したり出来るので返って朝起きた時が楽だ。 睡眠薬を使っていた時は、ぐっすり眠れるけど起きたときに手や背中がしびれていたり、喉がカラカラに渇いて咳き込んだりして辛かった。 睡眠不足は昼寝で充分補える。
痛み止めの坐薬はこの2日間、寝る前と朝の2回しか使っていない。 昼、夕は痛みで辛ければ入浴で我慢出来ている。 水分を意識して充分摂り、下痢さえしなければ楽でいられるので、食べ物と食べ方にはかなり気を使っている。

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それにしても、1回の食事は玄米粥お椀に1/3杯、とろろを入れたみそ汁2/3杯、豆乳ゆでカボチャ1欠片、小松菜と春菊の青汁80ccと完璧離乳食だ。
この少ない量を1時間半〜2時間もかけて食べるのだ。食間にプチトマトを3〜4個食べたり、
バナナやイチゴを少量食べたりして1日3〜5回食に分けて食べている。食べる量が少ない割に食べてばかりだ。今は食べる事と歩く事が仕事と思って頑張っている。



posted by さっちゃん at 17:51| Comment(5) | TrackBack(1) | 手術後2ヶ月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

少しずつ・・・

2006年4月4日(火) 少しずつ・・・

みどりちゃんが届けてくれた桜の花とフリージァの花が満開になった。 下痢が治って少し体調が良くなった。 外は暖かく風も穏やかで浅川の川沿いをゆっくり散歩出来た。 傷の痛みは相変わらずだけど、痛み止めの飲み薬は止めて坐薬を1日2〜3回にして2回、1回、0回と減らす様にしよう。睡眠薬も止めた。薬はなるべく使いたくない。胃の働きを補助する薬も止めて薄めた酵素やりんごの生ジュースで補う様にした。今の所問題ない。
麺類、海藻類、ゴボウ等の消化の悪い食べ物と砂糖は厳禁。 後は少しずつ食べられるものを増やしていこう。今日はプチトマトとイチゴに挑戦してみた。 トマトは皮だけ出してイチゴも食べられて下痢もしなかった。
posted by さっちゃん at 16:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 手術後2ヶ月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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